
続・みぶーの歴史
2012年1月14日
ポンタがやってくる。
家の鍵を忘れて法事へ。帰宅するも自宅に入れない為、ふと「ずっと里親決まらない大きな猫ちゃんまだいるのかなぁ」と
誰かが帰ってくるまでの時間つぶしで動物病院の前へ。たどり着くとまだ猫ちゃんはおり、「抱っこ出来たら連れて帰っちゃう?」なんて半分冗談で言いながら(まぁ無理でしょと思いつつ)抱っこしようとしたらビックリするくらいあっさり抱っこできてしまい、「でもウサギもいるし・・」となっていたら「連れて帰って相性的にだめそうならまた病院に連れて帰ってきていいんで是非」といわれ、結局うさぎとも全く問題がなかった為、急遽猫を飼うことになる。猫のトイレや小屋を慌てて買いにいき設置するために横田氏のベッドが撤去される。猫は大きかったのでポンタと名づける。
2012年1月18日
井出まさかず、さん(現 井出 踝さん)サポートで『あけみぶー(白塗り)』として出演。
渋谷duo MUSIC EXCHANGEのステージ上で布団で寝る事、粉を撒く事に無事成功する。
(その日対バンだった方のサポートで宍倉充氏が出演されており再び再会する。ちなみに移動中、電車でパーカッション機材に加え、布団を運んでいた為、ホー〇レスと間違われる。)
2012年4月
横田氏の勤めていた会社が突如倒産することに
ちょうどその頃居ぬきで何かやらないかと母が話しをいただきこちらに回ってくる。
全くやるつもりはなかったが母の付き合いもあり、物件を一応見に行ったら
落ち着いた和風の店内に横田氏の料理この店あうなぁ。これはありやな。と思い
「音楽やめないとになるならやだけど」と言ったら
「両立できるんじゃない?」と横田氏が言ってくれ
突如居酒屋をやる事を決意(30歳)
(会社は6月30日廃業。ちなみに倒産した会社の退職金は大量のトイレットペーパーであった。
こんなに貰っちゃった!!すごくない?!と大喜びの横田氏。を見て
カ・・・カサに騙されてる・・・・と思うのであった。)
2012年6月から
正式な営業に先駆け母が営業する『しめちこちゃん昼の部』スタート
2012年6月9日
『みぶープロデュース興行Wedding69party』という名の結婚式を
プロレスリングFREEDOMS協力のもと
新木場1ST RINGで開催。(のちに一般人で1ST RINGで挙式したのは初めてだと伺う)
2012年7月
お祝いで頂いた旅行券を使うならお店がOPENする前の今しかないだろと
ドタバタの中、新婚(でもないのだが)旅行を決行。
横田氏のリクエストで北海道道東へ行く。最初の目的地が網走監獄というなかなかレアな展開。
故に新婚旅行最初の食事は監獄食であった。(笑)
ネタ的には面白いが網走監獄の内容がヘビーすぎて新婚旅行とは思えぬすごい空気の車内であった。
というか何故か横田氏と田端君との2人の思い出の地をひたすらめぐる旅行であった。(笑)
2012年8月11日
『居酒屋 ご飯処 しめちこちゃん』正式に営業経営開始
横田氏が調理長、私は味見係をメインに、ホール、ドリンク等担当。
お店を持ったことによりFREEDOMSのスポンサーになる。
パンフレット掲載から始まり、のちにリング下の幕へと。
2012年11月~
エフエムたきのがわ『みぶーさんの何でもラジオ』開始
初のパーソナリティとしての枠をいただく。ごく一部のマニアにうける。
2012年冬
『おでんおばさん』に就任。(~2019年春迄活動)
2012年12月
ロックバンド『断絶交流』の前身バンド『オキシデンデストロイヤー』のドラムサポート開始。
(12月26日高円寺Club Mission'sが初サポート / ギターボーカル:川口純平 ベース:ツムラヤ)
2013年春より
しめちこちゃんの大将横田氏と女将みぶーでアコースティックユニット(チーム)
『チームしめちこちゃん』結成。(パーカッション担当)(31歳)
2013年4月25日
横田氏のソロCD『さけび』発売。
このCD制作で要約イラストレーターデビューする。
これまではWordでチラシもCDもTシャツなども制作していたのだが、入稿受付がイラストレーターデータのみだった為
急遽デビューなんとかかんとか仕上げる。そして大学でグラフィックデザインの授業を全拒否していた事を後悔する。
(大学当時はパソコンなんぞに頼るなー!という精神だった為、断固授業を受けなかった。)
2013年夏
もし万が一またバンド組める事があったら、途中で夢破れた女の子バンドでリベンジをしたいなという想いはずっとあったのだが
まーーーったく女の子バンドじゃないけど
『オキシデンデストロイヤー』の正式ドラムとして加入する決意をする。
同時にバンド名を『断絶交流』に改名する
2013年8月
DJとして参加していた『日本テレビ汐博』のステージで
ゆるキャライベントが開催されそこに登場した成田市の『うなりくん』に一目惚れ。
以後うなりくん推しに&ゆるキャラ全体にも興味を持ちだす。
2013年11月
断絶交流に加入して初の音源発売と同時にまさかのベース脱退。
2014年8月
ここにきて度々再会していたベーシスト宍倉充氏(みっちゃん)を召喚。
チームしめちこちゃん、断絶交流の両サポートに巻き込みだす(32歳)
と、同時にみっちゃんの乗っているBROMPTON(ブロちゃん)が欲しくなる。
そしてご近所だったこともあり宍倉充氏はお店の常連に。(チームしめちこちゃんの大将・女将・常連の編成が完成していく)
2014年10月
プロレスリングFREEDOMS旗揚げ5周年の取材場所として
居酒屋しめちこちゃんを使っていただき『週刊プロレス』に掲載される。
2015年6月
勢い余ってイブニング☆ばろんクソ虫プロデュースでアイドルデビュー(33歳)
2015年秋
ピアノテラーポップバンド『P!!!(ピーショック)』出現。(ドラム担当)
(ピアノボーカル:中村ピアノ ベース:チャルモ)
2016年春
『P!!!』未来人である事を告白。未来へ帰る。(34歳)
(3月7日池袋鈴ん小屋でのライブののち未来へ)
2016年3月25日
BiSの100キロマラソンしてライブするという企画に影響を受け
「東京~沼津まで133キロ自転車で行きライブをする」という企画を勝手に決行。
(宍倉充氏、千年弘高氏が巻き沿いをくらう。横田氏は車で一人機材を運ぶ)愛車のブロちゃん初のロングランとなる。帰りは車で帰京。
翌日3月26日には東京で断絶交流のレコ発イベントがあった為、ボーカルの川口純平氏に渋い顔をされる(イベントは無事終了。)
2016年6月
『ゼラチンおばさん』のゼラ活始まる。
年々音楽活動がエスカレート
チームしめちこちゃんは東京でのライブは年に数本あるかないかでほぼ地方でのライブという事態。
月半分以上お店にいない月が出現しだす
2017年
いいラリアットうちそうと誘われて、運動経験日頃の自転車移動とライブ活動くらいなのに
突如女子プロレス団体に所属。のちに試合にも参戦。(35歳)
(2017年2月18日練習生として初試合・4月16日デビュー)
2017年12月6日
ベースサポートをしてもらっていた宍倉充氏が断絶交流の正式メンバーとなる
バンドというものも人間と人間で行うものなわけで、やはり難しいのだろうかと思っていたので、3人揃った事に非常に感慨深く思う
2018年
『女子プロレスマガジン』にコソッと載ってしまう(36歳)
その後、所属団体活動休止に伴い日常生活に戻る。
2018年春
突如三浦祐太朗さんからのDMより
『三浦祐太朗』さんのアコースティックワンマンコンサートのサポートに参加
(1本のつもりで引き受けたサポートが気づいたら複数本に。で、翌年びっくりな事態に)
2019年1月~12月
47都道府県ツアー『三浦祐太朗 Live Tour “47 MELODIES”』参加(37歳)
念願の47都道府県上陸達成。(鹿児島、徳島が行けてなかった)
ファイナルの12月14日赤坂BLITZのステージを愛車ブロちゃんで走る事に成功。
「ブロちゃんも一緒にまわったメンバーだからね」という祐太朗さんの優しさに心うたれる
2019年6月5日
陣内和生さんの活動25周年記念ライブ
渋谷duo MUSIC EXCHANGEにてワンマン『帽子とメガネで25年』サポート参加。
(陣内和生さんのサポート10周年じゃん!という事におって気づく)
2019年8月30日
音楽活動との両立が難しくなってきて
7年間続けた『居酒屋 ご飯処しめちこちゃん』閉店(閉店を決めたのは4月頃。)
(8月30日閉店。9月はアフターパーティー的に開放。9月30日に完全撤収する。)
閉店を決めたと同時に今後の人生について考えた結果、横田氏に離婚を提案。
お店のOPEN日であった8月11日(大安)に結婚9年目にして離婚する。
(お客様には純粋にお店のお料理や空間を楽しんでいただきたかった為、閉店まで離婚の件は完全にふせて営業する)
ポンタの親権は横田氏に譲る。
2019年12月31日
離婚発表新聞発刊
またもほぼ誰にも言ってなかったのでザワザワさせてしまう
そしてさぁ本腰いれて音楽活動するぞ!
と思った矢先コロナがやってくる
2020年3月26日
チームしめちこちゃん初のフルアルバム『Music』発売(38歳)
完成したCDと離婚発表新聞を持って全国へ伺うつもりが全て白紙に。
自宅には大量のアルバムの入った段ボールと
配るつもりで作った700枚の新聞が・・・・・
2020年9月~2021年8月
(2020年3月からの予定がコロナの影響で半年遅れてスタート)
『三浦祐太朗 Live Tour 2020-2021"Blooming Hearts"』参加。
2020年12月
かれこれ独学でやってきたドラムだが
コロナ禍でスキルアップしようと見様見真似で練習を始めたら体を痛めてしまい
それをきっかけに脱独学しようと
monoral zombie*のドラム『大西英雄』さんに超基礎からドラムを習い始める。
コロナでライブが全くなくなった中、テレビで取り上げられていたパラサイト・ニートな状態に気づき
(しかも自分の場合アラフォー・パラサイト・ニートの三冠!?)さすがにいかんとバイトをしようと考えるが紆余曲折あり
ちょうどしめちこちゃんのあった場所の斜め向かいの物件が空いた事を知り
再び店を構える事に、3月に入り借りれる事がきまりGWまでにopenできればいいかなぁなんて思ってたのに
3月31日が縁起が良い日だという事を知り、急遽2週間ちょいで準備して無理やりopenさせる。
2021年3月31日
事務所兼オリジナルグッズ&リサイクルショップ
『nandemo house ぶーみとバクの物語』をOPEN(39歳)
現在も母の力を借りながら(店番代打をお願いしながら)東京板橋で営業。
2021年9月~10月
『三浦祐太朗 LIVE TOUR「COVER TO COVER」』参加。
2021年12月16日
断絶交流アルバム『あらわる』発売。
このCD制作で要約フォトショップデビューをする。
ここまでイラストレーターオンリーで全て制作していたのだが、写真をメインに使ったデザインをしようとした為
急遽デビューなんとかかんとか仕上げる。そしてまたも大学でグラフィックデザインの授業を全拒否していた事を後悔する。
2021年12月17日
『谷口崇』さんのフォロー&RTプレゼント企画に当選してしまい阿鼻叫喚。
2196分の5という確率での当選に、運を使い果たしてしまったのではないかと不安になる
(12月24日に到着するという素晴らしい演出付き)
2022年3月~
『三浦祐太朗 10th Anniversary Tour「AND YOU」』参加
2022年8月9日
お店『nandemo haouse ぶーみとバクの物語』にさまぁ~ずのお二人と田中アナが現れる。
『モヤモヤさまぁ~ず2』8月9日放送分(板橋大山編)に出演。
まさかの『みぶ渕』で2度目の地上波となる。(今回はバンドの映像も少し流していただけましたが)
2022年で音楽活動20周年を迎える(40歳)
まだまだこれからスタートだZe.